D'Arcy Wentworth Thompsonのこと

 古典作品を読んでいるとそこに出てくる鳥や魚の名前で困ることが少なくない.とくにギリシア語に関してそうした問題に直面したとき,助けになる書物として という二冊が挙げられる1. 両書の著者D'Arcy Wentworth Thompson(1860 - 1948)の名は,古典学に携わる人にとっては他にアリストテレース『動物誌』の英訳(Oxford, 1910)でも馴染みがあるだろう.しかし彼はまた生物学者として独創的な業績を残した人物でもあった.
 Thompsonは,古典学者の父のもとスコットランド,エジンバラに生まれ,若いうちから古典やギリシア語,数学などに優れた才能を見せた.1884年にはダンディーのユニバーシティ・カレッジ(University College, Dundee)生物学教授となり,1917年からの31年間はセント・アンドルーズ大学博物学教授を務めた.また1937年にはナイトの爵位を,1946年にはダーウィン・メダルを授与されている.彼の主著On Growth and Form(『生長と形態について』)は,1917年に第1版,その後1942年に改訂版が出ており,最終的には1100頁を越える規模になっている.この著作の中でThompsonは,生物の形態を分析するために数学的な方法を用いるという試みをおこなった2.とりわけ生物の身体に座標軸を描き,ちょうどゴム板を拡縮するようにして異なる生物間に対応関係を見出した最終章(17章)は,そこに描かれた図がしばしば引用されることもあり有名である.
p.1057の図p.1057の図
 免疫寛容の研究で1960年にノーベル生理学・医学賞を受けたP. B. MedawarはこのThompsonの記念碑的業績を激賞し,
beyond comparison the finest work of literature in all the annals of science that have been recorded in the English tongue.
と評価している3.実際そのIntroductoryを開いてみると,カントやレオナルド・ダ・ヴィンチ,ロジャー・ベーコン,ルクレーティウスやアリストテレースなどおびただしい引用が織り交ぜられていて著者の博識がただちに実感できる.
 そして実はこの本には『生物のかたち』という題で1973年にすでに邦訳が出版されている.正確に言うと,原著そのものではなくその簡約版に基づく翻訳で,そのため上に触れたような「文学的」味わいは失われているものの,Thompsonの思考の面白さは味わえるだろう.邦訳者によるまえがきにはMedawarらによるThompson評がまとめられていて面白いので引用しておく.
彼は,古典学者であった父の影響を受けて育ち,古典学者として知名であったが,数学者としてもいくつかのまとまった論文を書いており,さらに博物学者としても学会では重要な地位にあった.六尺ゆたかの大男でバイキングの風貌をそなえた,見るからに威厳のある人だったが,文学的才能にもたけていて仲々の論客で,講演などすればいかにも人を引きつけるものがあったといわれる.古来,科学者でありながら作曲家であったり,医者でありながら作曲家であったり,医者でありながら文学者であったりする学者をみかけるが,ふたつの専門が一体となって調和している人は少ない.トムソンは科学の歴史に残る大学者ではなかったかもしれないが,古典学,数学,博物学という一見,調和しがたいような学問をからだの一部分となるまで消化していたことは,本書を読めばうなずくことができる.(pp. i - ii)

【参考文献】

註1――:もっとも,どちらかというと魚についての困りごとは割合専門的な作品で生じがちなので,前者は知っていても後者は知らないという人もあるようだ.

註2――:Thompsonはこの章の冒頭で「自然という書物は幾何学の記号で書かれている」というガリレオの有名な言葉に言及している.The mathematical definition of a "form" has a quality of precision which was quite lacking in our earlier stage of mere description; it is expressed in few words or in still briefer symbols, and these words or symbols are so pregnant with meaning that thought itself is economised; we are brought by means of it in touch with Galileo's aphorism (as old as Plato, as old as Pythagoras, as old perhaps as the wisdom of the Egyptians), that "the Book of Nature is written in characters of Geometry." (p. 1026) なお引用はInternet Archiveで閲覧できる1945年のものに拠った.

註3――:この言葉はThompsonの伝記(Thompson, R. D., D'Arcy Wentworth Thompson: The Scholar-Naturalist 1860 - 1948, London: Oxford University Press, 1958)のMedawarによる後書(pp. 219 - 233)の中に見える(p. 232)らしいが,直接参照することができなかった.

註4――:「トムソン」の項は日高敏隆による.

2016/12/11


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