写本伝承

A写本

テレンティウスの喜劇のテクストは主として2通りに伝わっている.

現存する唯一の古代後期(4-5世紀)の写本(A写本).これは15世紀にベンボ家の所有であったことからベンボ写本(codex Bembinus)と呼ばれ,キャピタル体で書かれている.

カッリオピウス写本群

残存する中世写本は数多くそのうち重要なものは9-11世紀頃のものが十数冊.これらにはカッリオピウス(Calliopius)なる学者の編纂になる旨記されたものがあり,Calliopian familyと呼ばれる.

共通の本Σ(4-5世紀)からγδという二つの分岐を経て派生したと考えられる.γδは個別の読み・劇の配列・図画の有無(δ系には図がない)などで区別される.したがって読みの割れ方がA: γ, δ (=Σ)の場合は決定が難しいが,A, γ: δやA, δ: γの場合は優劣がつけやすいことになる.

テレンティウスの写本系図

γ系統

δ系統

古代及び中世の註釈

ドーナートゥス

4世紀中頃,古代のテレンティウス研究として最も重要なアエリウス・ドーナートゥス(Aelius Donatus)の註釈が書かれる. 彼の註釈は『自虐者』を除く5作すべてについて残っていて,中世写本がそれを伝えている.

エウグラピウス

他にエウグラピウス(Eugraphius)なる人物の註釈が残されている(Wessnerのエディションの第3巻に収められている). ドーナートゥスの註釈を知っていたようだが,その内容はより初等的で関心の範囲も狭い.

ドーナートゥス,エウグラピウスともにWessnerのエディションが利用できる.

中世

ドーナートゥスの註釈もエウグラピウスの註釈も中世に及ぼした影響は限定的なもので,当時流通していたテレンティウス註釈の大部分は中世というその時代の産物であるため,古代の研究成果を伝えているケースはあまりないが,中世におけるテレンティウス受容という観点では有益なものとなりうる.もっともそれらの註釈は相互に関係しあっていて全容は未だ明らかではない.

最も影響力を持った註釈は9世紀中頃にフランスで(少なくともその一部が)作られたと考えられるもので,1811年にBrunsによって出版されたことからCommentum Brunsianumと呼ばれる.イーシドールスやプリスキアーヌスといった9世紀に知られていた典拠のほか,先に述べたドーナートゥスやエウグラピウスに由来すると思われる要素もわずかに見出される.

またミュンヘン写本註釈(Commentum Monacense)として知られる註釈はBrunsianumより少し後のもので1000年ごろにBresciaで作られた写本Bayerische Staatsbibl. lat. 14420によく保存されている.全体的な趣旨・傾向としてはBrunsianumと同様ではあるが,その作者の学識水準は一層高く,当時としては珍しいことにギリシア語の知識をも持ち合わせていたようである.その一部はSchorsch, F. (2011), Das commentum Monacense zu den Komödien des Terenz: eine Erstedition des Kommentars zu "Andria", "Heautontimorumenos" und "Phormio", Tübingen, Narrではじめてエディションが作られた.

2018-08-23追記:これに先立って1893年にSchlee, S.H., Scholia Terentianaが出ており(Internet Archive),また2015年にはSan Juan Manso, E., El 'Commentum Monacense' a Terencioが出ている.

参考文献

2018/02/21

2018/08/23


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