夏休みに別子銅山へ行ってきました(2017年8月).
愛媛県新居浜市にあった銅山. 1690年(元禄3年)に発見され翌年に採鉱が始まって以降1973年(昭和48年)の閉山に至るまで65万トンもの銅を産出し,新居浜の発展のみならず日本の近代化に貢献してきた. その産業遺産は海抜1,300mの別子山上から瀬戸内海上の四阪島(しさかじま)まで広い範囲にわたって残されている.
松山から予讃線特急しおかぜで大体1時間くらい.
JR新居浜駅.全体が赤茶色なのは銅の色を模しているらしい.
まずは銅山記念館へ.すぐそばには大山積神社があって,別紙1号機関車やかご電車などが展示されてあった.
かご電車.人間が入って乗ったらしいが,かなり小さい.
記念館の外観.植わっているのは躑躅で春にはさぞかし綺麗であろうが,今は夏である. 中には銅山の模型や掘削器具のほか,フランス人技師ルイ・ロラックの『別使鉱山目論見書』も展示されていた.
今回は東平(とうなる)と端出場(はでば)を訪れた.旧別子の方は更に遠くにあるので諦める. まず東平まで行って,それから端出場へ下りてくるルートである.
鹿森ダムの前をぐるりと螺旋状に回る青龍橋を渡りそこから更に上を目指す. 途中の遠登志(おとし)渓谷遊歩道があって遠登志橋のあたりまで歩いた.
東平までの山道は車がすれ違えないくらい細いところが多く曲がりくねっている.酔い止めを飲んでおいて正解であった.
ぜひ行ってみたいと思っていたのが第三変電所跡なので鉱山運搬機器展示場を軽く見た後そちらへ向かう. すこし山道を歩かなくてはならない.
道中なぜか色々なところに蜜蜂の巣箱が.
到着.
「第三」というのは別に「第一変電所」「第二変電所」があったわけではなく,「第三」という地名なのだそうだ. 1904年(明治37年)に建てられ,東平坑閉坑の少し前,1965年(昭和40年)まで61年間にわたり使用され,今も赤煉瓦造りの遺構が残っている.
2階にも上がれる.一段抜けた階段がなかなかスリリングである.
1894年(明治27年)開削,1902年完成.坑内の排水・通気の問題を解決して出鉱量の飛躍的増加を成し遂げた.
現在は立ち入り禁止である.
東平のメイン.旧保安部はマイン工房として観光施設になっている.接待館跡は写真を撮りそこねたけど,あの土居晩翠なども訪れたらしい. 東平歴史資料館には銅版画の展示もあった.
見下ろした図.左手の画面外にインクライン跡(現在階段になっている)があって下へ降りていける.
インクライン跡の階段.8月だったがまだ紫陽花が結構残っていた.
坑内から採掘された鉱石は索道基地から下へと送り出されるまでの間この大きな石積に貯めて置かれた.■
1905年(明治38年)完成.ここでは鉱石だけでなく,木材や生活物資の類の輸送も行っていた.現在は花木園になっている.
端出場まで戻ってくると結構疲れていたが,遅めの昼食をとって観光を続ける.温泉や砂金採り体験ができるコーナーもあった.
観光坑道までは鉱山鉄道に乗って行く(歩くのも可).江戸,近代とゾーン別に採鉱風景や鉱山労働者の生活風景などが模型で見学できる.
第四通洞.中からはとても涼しい風が吹いていた.天然のクーラー.
水力発電所跡.登録有形文化財である.
電車待ちの時間が結構あったので駅のそばにある新居浜市総合文化施設・美術館あかがねミュージアムへ立ち寄った. ちょうど「ジブリの動画家 近藤勝也展」を行っていたのでうれしい(閉館時間が近かったので少しあわただしかったが……).