経験したことのない夏」だか何だか知らないがとにかく暑い.こう暑い日が続いては,かつてパエトーンが父の馬車を駆って道を逸れ世界を灼熱の炎に包みかけたときもこのようであったかと思わずにはいられない.

太陽神が自分の本当の父親か確証を求めて父の王宮を訪ねたパエトーンに,神は何でも願いを叶えてやろうと言うが,それなら馬車を駆らせてほしいという息子の願いを聞いてたちまち己の軽口を後悔した.宥めても説得しても息子は考えを変えず,ついに彼は父の馬車を駆って天を巡るがほどなく馬車は制御を失い,あわや地上は大火災に見舞われそうになる,というのが物語の粗筋である(ちなみにその後パエトーンはゼウスの雷によってエーリダノス河に撃ち落される).

さて,この神話を綴ったオウィディウス『変身物語』第2巻を繙くと,太陽神の忠告の中に次のような詩句がある.

ecce per insidias iter est formasque ferarum,
utque uiam teneas nulloque errore traharis,
per tamen aduersi gradieris cornua Tauri
Haemoniosque arcus uiolentique ora Leonis
saeuaque circuitu curuantem bracchia longo
Scorpion atque aliter curuantem bracchia Cancrem. (Ov. Met. 2.78-83)

見よ,待ち伏せする獣たちの姿の間を通る路がある.
たとえ道程どおりに逸れることなく進んでも,
立ちはだかる牡牛の角や
ハエモニア(=テッサリア)の弓,獰猛な獅子の口,
長い弧を描いて凶暴な腕を曲げた蠍,
そしてそれとは違った風に腕を曲げた蟹の間を往かねばならない.
獣帯と呼ばれることもある黄道十二星座の話であることは明らかだが,ぼんやり読んでいると「立ちはだかる牡牛」(aduersi Tauri)という箇所で「はて」と思った.夜空であれプラネタリウム・ソフトであれ見慣れた人はわかることだが,牡牛座は背面から天へと昇り,牡羊座とは反対の方を向いている.そのためTaurusにつきそうな形容詞はむしろ「背を向けた」(auersus)のように思える.ということは他の黄道十二星座と共に牡牛座が話にのぼっているこの箇所では「立ちはだかる牡牛の」(aduersi Tauri)よりも「背を向けた牡牛の」(auersi Tauri)の方がふさわしいのではないだろうか,という疑問が浮かぶ.文字としてはdの1字があるかないかの違いで写字生が間違えるとしても無理はなさそうだが……

こういった星絡みのマニアックな話はハウスマンの『アストロノミカ』註釈を見るに限る.まず第5巻の索引を見てみると果たしてauersus et aduersus confusaとそのものずばりの見出しがあるではないか.その一番最初の参照箇所は第1巻264行なので,第1巻の註釈をさっそく繙くと,ここでは写本間でauersum/aduersumの読みが分かれているらしく,「詩人は「背を向けた牡牛」を,写字生たちは「立ちはだかる牡牛」を繰り返していて,彼らは4巻521行でのみauersusを保存している」(auersum Taurum poeta frequentat, aduersum librarii, qui solum IV 521 auersus seruarunt)とコメントして,これまでに学者たちが直した箇所と自分が直した箇所を列挙している.そしてその後になんとちょうどこのオウィディウスの箇所に言及して,

sed iuiuria opinor in Ouid. met. II 80 per tamen aduersi gradieris cornua Tauri Scaliger auersi coniecit neque transformationum scriptori suas reliquit nugas; nam diurnus iste solis ab oriente in occidentem per zodiacum cursus, quem fingit Ouidius, si fieret omnino, Taurum habiturus erat aduersum. (Housman, A.E., M. Manilii Astronomicon liber primus, Londinii 1903, 26)

だが思うにオウィディウス『変身物語』2巻80行「立ちはだかる牡牛の角を通って往かねばならない」でスカリゲルが「背を向けた」を推定し,変身物語の作者に相応の冗談を許さなかったのは不当である.というのは,オウィディウスが描いているところの,黄道を通って東から西へ向かう日中の太陽の走路は,もしそれが生じるのだとすれば,立ちはだかる牡牛を持ったはずだから.
と述べている.つまり,ここで太陽神は日が朝に東から昇り夜に西へ沈む走路の話をしていて,その行く手に黄道星座の獣たちが潜んでいると脅かしているのだが,実際には太陽は一年をかけて天球上を西から東へ動いているのであり,日周運動の際には恒星天も一緒に動いているため,牡牛の角に対して立ち向かうような動きにはなり得ない.auersiをaduersiに「修正」すると,オウィディウスが空想的に戯れでやっている物言いを殺すことになってしまうというわけである.どうやらこれで解決してしまったようだ.

まあせっかくなのでスカリゲルがどこでその考え言っていたのかだけ調べてこの碩学と同じ陥穽に落ちたことをせめてもの慰めとしておこう.スカリゲル(Iosephus Iustus Scaliger)による『アストロノミカ』は3種類版があるが,そのうち1600年版にこの箇所をauersiに改めるべきであるという指摘が出てきて,オウィディウス『変身物語』も同じように修正すべきであるという記述は1655年版に確認できる.

さて,うまくいけば論文になるかと思ったアイディアはあっけなく烏有に帰したわけだが,この一件から教訓を引き出すとすれば,

という点だろうか.

2020/08/13


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