Philodemvs, Epigramma

XVIII (=AP 11. 44)

αὔριον εἰς λιτήν σε καλιάδα, φίλτατε Πείσων,
   ἐξ ἐνάτης ἕλκει μουσοφιλὴς ἕταρος
εἰκάδα δειπνίζων ἐνιαύσιον· εἰ δ᾿ ἀπολείψεις
   οὔθατα καὶ Βρομίου Χιογενῆ πρόποσιν,
ἀλλ᾿ ἑτάρους ὄψει παναληθέας, ἀλλ᾿ ἐπακούσῃ5
   Φαιήκων γαίης πουλὺ μελιχρότερα.
ἢν δέ ποτε στρέψῃς καὶ ἡμέας ὄμματα, Πείσων,
   ἄξομεν ἐκ λιτῆς εἰκάδα πιοτέρην.

親愛なるピーソーよ,明日第九時に
 詩女神愛する友が,毎年二十日の宴を開き
慎ましやかな小屋へ貴方をお連れします.豚の乳房や
 キオス産の葡萄酒を後にして下されば,
紛うことなき仲間たちと会い,パイエーケス人の地よりも5
 ずっと甘美な調べを聴けることでしょう.
もしも貴方が,ピーソーよ,私の方へも目を向けて下されば,
 二十日の宴も慎ましいものでなくもっと豪華に行えるでしょう.

COM. ―― 1. 第九時:午後三時ごろ. 2. 詩女神愛する友:詩人. 毎年二十日の宴:何を意味しているかよくわからない.エピクーロスの遺言には毎年ガメーリオーン月(おおよそ今の1月から2月)の第10日にあたる自分の誕生日祝いと毎月20日の哲学者仲間の集いについて言及がある(Diog. Laert. X 18).したがってここでの《毎年二十日の宴》は両者が混乱した表現のように思われ,複数の解釈が呈示されている.Dübnerは年に一度だけ20日を祝ったか,あるいは毎月20日のうちエピクーロスの誕生月はとりわけ厳粛に執り行ったかと二通りの解釈を示す.‘aut semel anno hanc εἰκάδα obiverit, aut semel sollemniori apparatu, natali, ut probabile est, magistri die, vicesimo Γαμηλιῶνος mensis’ (Epigrammatum anthologia Palatina, 2 voll., Parisiis, 1864-1872: vol. 2, p. 365). Gow-Pageはそれに満足せず,《毎年の》ではなく《一年にわたる》と解釈せぬ限りは(そしてそれは困難だが)問題が解けないと付言している.他方Siderἐνιαύσιονσεに一致させて,ピーソーが年に一度この集まりに訪れていたという解釈を試みている(The epigrams of Philodemos, Oxford, 1997). 4. 豚の乳房:ローマでは雌豚の乳房(sumen)は珍味として食された.Cf. Marquardt, J., Das Privatleben der Römer, Leipzig, 1879: 319f. 後にしてくだされば:ピーソーが自邸でとるであろう豪華な食事よりも自分たちの集まりの方を優先してくれれば. パイエーケス人の地よりも:オデュッセウスが祖国への帰還の途中に訪れた土地.そこを治めるアルキノオス王のもとで彼は手厚い歓待を受けた.『オデュッセイア』第8歌参照.

2016/11/01


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