Petrarca, F., Canzoniere

70


哀れな我が身よ,希望は幾度も裏切られ
それを何処へ向けてよいかも判らないとは.
慈悲をもって私に耳を傾けてくれる人などいないのに
何故にかくも度々むなしく天に願いを散らすのか.
だがもしも我が命の尽きる前に
5

この惨めな歌を終わらせることが
許されることがあるならば,
いつの日か草や花の間で自由に歌いたいという願いを
我が主が嫌がり拒むことがなきように――
歌い楽しむことは我が権利にして道理.
10


折にふれ私が歌うのは道理にかなったこと,
なぜなら,長い間嘆きにくれていたため
これほどの苦しみを笑いと釣り合わせることに
取り掛かるとしても早すぎるということはないのだから.
もしあの聖らかな眼に私の甘き言葉が
15

何ほどかの喜びを
差し出すことができたなら,
ああ私は他の恋人たちに勝る幸せ者であろうに.
いやそれ以上のものだろう,もし嘘偽りなくこう語れるならば――
私が歌おうとするのは婦人の求めに応じてのこと.
20


かくも高邁な考えへ一歩また一歩と
私を導いてきた定めなき想いよ,
見るがよい,我が婦人の石のような心を.
その固さは,私独りでは其処へ入っていくことができぬほど.
彼女は低きへ眼を向けて私の言葉を
25

気に留めるのを潔しとはしない.
なぜなら,抗おうとする私を
挫いた天命がそれを望まないから.
かくして我が心の固く強張ったものとなるごとく
我が言葉もまた固きものとならんとする.
30


私は何を語り,何処にいるのか.私を欺くのは
私自身の過剰な望み以外の何であろうか.
天球から天球へと駆けめぐってみても
私に嘆きを強いる惑星はひとつとしてありはしない.
死すべきこの身が遮って視覚を曇らせているならば,
35

星々や美しき事物に
いかなる咎があろうか.
昼も夜も責め苛む者と私は共にあるのだ,
その魅力でこの身が重きものに変えられて以来,
あの甘美な姿と爽やかな眼差しによって
40


この世を飾るあらゆる優れた事物は
永遠なる匠の手より出でたもの.
だが我が眼はその深奥を見極めること能わず
あたりに現れる美しさに眩まされるのみ.
そして真の輝きへと立ち戻ることがあっても
45

この眼は持ち堪えられない.
それほどにこの眼が力なく
くずおれているのはそれ自身の罪のせいであり,
私があの天使の如き美貌を眺めたあの日のせいではない――
それは若き青春の甘美な時のこと
50


COM. ――斜体になった各スタンツァの最終行は先行詩人からの引用(最後のスタンツァのみペトラルカ自身からの引用). 4. 願い:《愛の願い,求め》と同時に《嘆きの詩》とSantagata. 9. 我が主:愛神. 10. 歌い楽しむことは我が権利にして道理:Drez et rayson es qu'ieu ciant e· m demori. ペトラルカはこの詩をアルノー・ダニエルの詩と考えて引用しているように思われるが,実際にはこの詩はギョーム・ド・サン・グレゴリに帰されるもの.ただしここで引用されている詩行はMs. Fr. 12473(= K)のそれと語順が一致する一方,Ms. Fr. 856(= C)とは異なっている. 15. 聖らかな眼:ラウラのそれ. 20. 私が歌おうとするのは婦人の求めに応じてのこと:グイード・カヴァルカンティからの引用. 21. かくも高邁な考え:ラウラのための詩を作るという高貴な企て.しかしまた前聯に述べたような詩人の高望み. 30. 我が言葉もまた固きものとならんとする:ダンテからの引用. 33. 天球から天球へと駆けめぐってみても:‘Per quanto io voglia cercare tra tutte le sfere del cielo.’ (Leopardi) 36. 星々や美しき事物:de le stelle, | o de le cose belle? 《美しき事物》のうちにはラウラが暗示されていよう.特に《星stelle》という言葉が《美しいbelle》と韻を踏むことでラウラの眼の美しさとの連想がはたらくと思われる. 38. 昼も夜も責め苛む者:詩人自身の憧れ.‘il mio desiderio’ (Leopardi) 40. あの甘美な姿と爽やかな眼差しによって:チーノ・ダ・ピストイア(Cino da Pistoia)からの引用. 42. 永遠なる匠:神. 43. その深奥:ラウラの魂の内なる美・徳性. 45. 真の輝き:精神的・内面的なそれ. 50. それは若き青春の甘美なときのこと:ペトラルカ自身のカンツォーネ(Rvf. 23)からの引用.

2017/11/04


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