Petrarca, F., Canzoniere

1


散り散りの詩片のうちに嘆息の調べを聴く
貴方方よ――それはわが青春の初めの過ちの中で,
すなわち私が今とはある部分で違った人であった頃,
私が心の糧としていたあの嘆息だ.
4


空しい希望と空しい苦悩の狭間で
私が泣きまた話す様々の語り口に対し,
経験により愛を知る人のあるところならば,
憐れみのみならず許しをも見出せるものと私は思う.
8


しかし今ではよく判っている,自分が長い間
人々の噂の的であったことを.そのためしばしば
私自身,我が身を恥ずかしく思う.
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そして私が放浪の末に得たものは,恥辱と
後悔,またこの世で悦ばしいことの全てが
短い夢であるというはっきりとした悟りなのだ.
14


COM. ―― 1. 散り散りの詩片:rime sparse. 『カンツォニエーレ』のラテン語の表題は『俗事詩片』(Rerum vulgarium fragmenta)である.Daniello da Luccaはダンテやウェルギリウス『アエネーイス』のような一続きの詩ではなく,ホラーティウスの詩集のようなものに準えている(Sonetti Canzoni e Triomphi di M. Francesco Petrarca, Venezia, 1549: Google_Books). 2. 貴方方よ:この詩集の読者に向かって. 3. 私が……違った人であった頃,:Cf. ‘non sum qualis eram’ (Hor. Carm. IV i 3); ‘non eadem est aetas, non mens’ (Hor. Epist. I i 14). 4. 心の糧としたあの嘆息:嘆きはしばしば心の糧と表現される.Cf. Rvf. 93, 14; 130, 5. 7. 経験により……ところならば:Cf. ‘che 'ntender no la può chi no la prova’ (Dante Tanto gentile 11 (Vita nuova XXVI)). 10. 人々の噂の的:オウィディウス『愛の歌』には《しばしば人が道行く詩人を指差して「ほら,この人だ,苛烈な愛神に焼かれているのは」と言う.君は気づかないが,恥じらいを無視して自らの行いを語りながら,君は都中に噂となって広まっているのだ》‘saepe aliquis digito vatem designat euntem, | atque ait "hic, hic est, quem ferus urit Amor!" | fabula, nec sentis, tota iactaris in urbe, | dum tua praeterito facta pudore refers.’ (Ov. Am. III i 19-22)とある. またHor. Epod. xi 7-10も参照. 13f. この世で……短い夢:Cf. Rvf. 248, 8; 311, 12-14. また『親近書簡集』では《私の生は全て儚い夢,瞬く間に逃れる幻に他ならない》‘totam michi vitam meam nichil videri aliud quam leve somnium fugacissimumque fantasma’ (Fam. II ix 16)のような表現が見られる(Cf. VII xvii 10; IX xv 2).

2017/06/21


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