Hearn, L., Shadowings

何かないかとPC内を漁っていたら2014年ごろに訳したらしいものがでてきたので掲載。底本ははっきり覚えてませんが,Gutenberg Projectの方でも原文は閲覧できます。

The Screen Maiden(衝立の少女)

 古い日本の作家,白梅園露水1は次のように記している――
 中国や日本の書物には,古今を問わず,あまりの美しさから見る者に不思議な影響を与えたという絵画の話が多く伝えられている。こうした美しい絵画――有名な芸術家の手になる花や鳥,人物の絵――について,さらに次のようなことが言われている。すなわち,そこに描かれた物や人の姿が,紙や絹の上から離れて,様々なことをする。そうしてその絵は自らの意志で本当に生きたものとなるというのである。昔から誰もが知っているこの種の話を今あえて繰り返すことはするまい。だが,今日でも菱川吉兵衛によって描かれた絵――『菱川の絵姿』――の評判は全国に遍く行き渡っている。
 著者はこれに続いて,そのいわゆる肖像画の一つについて次のような話を記録している。
 京都の若い学者に名を篤敬という者があった。彼は室町通と呼ばれるところに暮らしていた。ある晩,用事を終えて家へ帰る途中,古物商の店先に並べられた一枚の古い衝立が目に留まった。それは紙をかけただけの衝立であったが,その画面に描かれた少女の全身像が,この若い男の好奇心を惹いた。絵の値は極く安かったので,篤敬はそれを購入すると家へと持ち帰った。
 家で独りになって改めて見ると,その絵はいっそう美しく思われた。見たところそれは本当に肖像画らしく,十五,六の少女を描いたもので,髪や目,睫毛や口のあらゆる細部に至るまで筆舌に尽くしがたく精魂を込めて仕上げてあった。まなじり2は「艶めく芙蓉の花」のよう,唇は「紅花の微笑」のよう,その若々しい顔は何とも言えぬ愛らしさであった。描かれた少女が本当にこれほど美しかったなら,心奪われぬ男は誰もいなかったことだろう。そして篤敬は彼女が絵の通り美しかったに違いないと信じた。――実際,絵の少女は生きているように見え,だれか呼びかける者があれば返事をする用意のあるようであった。
 絵をつぶさに眺めていると,彼は自分がだんだんにその魅力に取り憑かれていくのを感じた。「一体こんなに美しい女性が」と彼は胸の内で呟いた,「この世に存在するものだろうか。彼女を暫くの間でも(日本の作者は「束の間」としている)この腕に抱けるものなら,私の生命――否,千年の生命――でも喜んで捧げよう」要するに,彼はこの絵に恋をしてしまった,そこに描かれた少女の他にどんな女も決して愛せぬほどに恋をしてしまったのだ。だが絵の少女がまだ生きていたとしても,もはやその絵には似ていないだろうし,ひょっとすると彼が生まれるよりもはるか昔に葬られてしまったかもしれない。
 けれども日に日に彼の空しい想いは膨らんでいった。食べることも眠ることもできず,かつては楽しかった学問にもまるで身が入らなかった。ほかのことは何もかも忘れ,擲ち,何時間でも絵の前に座って話しかけようとするのだった。そして遂に病気になって,彼は自分でも死んでしまうものと思った。
 さて篤敬の知り合いのうちに,古い絵画と若い人の心とについてたくさんのふしぎなことを知っている,尊敬すべき学者があった。篤敬の病を聞き知ったこの老学者は,彼を訪ねて件の衝立を目にし,何が起きたのかを理解した。篤敬は彼に問われて,一切を打ち明けこのように言った。「もしこんな女性が見つけられなかったら,私は死んでしまいます」
 老学者は言った。「あの絵は菱川吉兵衛の書いたものじゃ。生きた姿を写し取ったのだが,描かれた人物はもうこの世の人でない。しかし菱川吉兵衛は彼女の姿ばかりでなくその心まで描いたと言われておる。それで彼女の魂は絵の中に生きておるという話じゃ。だから君は彼女を手に入れることができると思う」
 篤敬は半ば床から身を起こし,老人に驚きの目を向けた。
「まず名前をつけてやらなきゃならん」と老人は続けた,「そして毎日彼女の絵の前に坐って,思いを彼女に集中させて,君がつけた名前を優しく呼ぶのじゃ,彼女が君に返事を呉れるまでな……」
「返事を呉れるのですか」篤敬は息も詰まらんばかりに吃驚して叫んだ。
「そうだ」と老学者は答えた,「必ずや返事を呉れよう。だが彼女が返事をしたら,儂がこれからいうものを用意しておかなくちゃならんぞ」
私は彼女に生命でも捧げるつもりです」と篤敬は叫んだ。
「いいや」と老人は言った,「百軒の違った酒屋で酒を買い,一杯彼女に差し出すのじゃ。そうすれば,酒を受け取りに彼女は画面から出てきてくれよう。その後のことは彼女自ら教えて呉れる筈じゃ」
 こう告げて老学者は去っていった。彼の話で篤敬は絶望から立ち直り,すぐさま絵の前に坐ると少女の名前を――(それがどんな名前か,日本の作者は記録するのを忘れてしまった)――何度も何度も,とても優しく呼んでやった。その日は返事がなかった。その翌日も,そのまた翌日も。けれども篤敬は熱意と忍耐と失わなかった。そして何日もが過ぎたある晩突然,その絵は名前を呼ぶのに返事をした。
「はい」
 それからすぐに,百軒の違った酒屋で買った酒を少し注ぎ,盃を恭しく差し出した。すると少女は画面から出てきて,部屋の畳の上を歩き,篤敬の手から盃を受け取るために膝をついた。そして可愛らしく微笑んでこう尋ねたのだった。
「どうして,そんなに妾のことを好いて下さるの」
 日本の作者は次のように言っている,「彼女は絵の中にいたときよりも遥かに美しく,指の爪先までも美しく,心根も気性も美しく,この世の誰よりも美しかった」篤敬が何と答えたか,記録は残っていない。想像を逞しくするより仕方がないだろう。
「けれど,すぐに妾になど飽きてしまいませんか」と彼女は尋ねた。
「生きている限り決して」と彼は言った。
「その後は……」と彼女は続けた――日本の花嫁はただ一生の愛だけでは満足しないのである。
「では互いに誓いましょう」と彼は請うた,「七生に亘って変わらぬ愛を」
「もし妾に優しくして下さらなかったら」と彼女は言った,「絵の中へ帰ってしまいますからね」
 二人は互いに誓いを交わした。篤敬はよい男であったらしく,花嫁が絵の中に帰ってしまうことは決してなかった。彼女が描かれていた場所は空白のままになっていた。
 日本の作者は次のような驚きの言葉を述べている――
「このようなことが世に起るのは何と稀なことであろう」

註1――彼は享保一八年に没した(一七三三)。彼が言及している絵師――蒐集家には菱川吉兵衛師宣の名でよく知られている――は一七世紀後半に活躍した。はじめ染物師の見習いであった彼は、その後一六八〇年頃には芸術家として名声を得、その頃に浮世絵派を創始したと言われる。特に菱川は「風流」と称される、上流社会における人生観の表現者であった。

註2――目尻とも言い、目の極を謂う。日本人は(古代ギリシアや古代アラビアの詩人たちのように)非常に多くの語や喩えを、髪や目、まぶた、唇などの格別の美しさを表現するために持っている。


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