共訳ひとり反省会――『西洋古代の地震』翻訳を終えて――

はじめに

2月はじめに『西洋古代の地震』という書籍が刊行されました.原著はG. H. WaldherrによるErdbeben, das aussergewöhnliche Normale : zur Rezeption seismischer Aktivitäten in literarischen Quellen vom 4. Jahrhundert v. Chr. bis zum 4. Jahrhundert n. Chr.(『地震,異常なる普通:紀元前4世紀から紀元後4世紀にかけての文学的典拠における地震活動の受容について』)というタイトルのドイツ書です.私は「第2章 地中海圏における地震活動――地震構造的な概観」と「第3章 古代における地震理論」,索引関係を担当しました.

足掛け3年くらいやっていた仕事ということもあり,振り返ってみて色々と感慨や反省もあるので,後のためにも作業の流れや今の所感を記録しておこうというのがこの記事の趣旨です.

翻訳作業の流れ

2018年初めに翻訳の話があり,若干の調整期間を経て,春ごろから作業が始まりました.

分担者それぞれが訳出作業に入るに先立って,3-4回程度会議が持たれました.この際に,序章,終章を全員で読み合わせ,分担箇所を決めます.また,それと合わせて目次・索引等に出ている特に重要と思しき語や概念に仮訳をつけて全体が共有できるようにしました.こうした会議を通して,著作全体の方向性,原著者の言葉遣いの癖や特徴について分担者全員が或る程度共通の認識を持つことができるようになります(※今回これらの会議の主だった設定は分担者の一人である内田先生の指揮によるものでした).

これ以降は各訳者それぞれが,自分の担当箇所を翻訳する作業に入ります.進捗の管理もかねて,数回,特に解釈に悩む箇所などを相談する機会が持たれましたが,これは全てメールを通じて行われました.まだCOVID-19の流行以前の頃でしたが,問題点をよく整理したうえで考えをやりとりするには,対面の会議よりこの方が優れていたように思います.ただし,作業の後半では,訳者間と編集とで連絡の頻度が上がるため,隔靴搔痒の感が強まりました.

個別の作業としては,まず担当範囲を順次読みながら一度全体の下訳を作ります.日本語としての自然さは度外視して,原語の一語一語に対応する日本語を持つ,原文の構造を可能な限り写し取った逐語訳です.この時点で既にワープロソフトで訳文を作成してもよいのですが,慣習的な理由から,最初の訳文はすべてノートに手書きで作りました.次に,それをテキストデータとして打ち直します.この作業を通して,訳文の読み直しと,文単位ではなく大きな流れの中での検証を要する箇所(とりわけ接続詞の類)のチェックも行います.以降は,紙に打ち出した訳稿をもとに,

を行って朱筆で添削し,行間や欄外が一杯になったらデータとして整理する,という作業を繰り返します.その中で少しずつ(1)から(2)へ重心を移していき,全体としては,作業が進むにつれ主な検証対象が原文から和文へ徐々にシフトしていくようになります.これをだいたい1年半くらいかけて行いました(途中で数回訳者間のおおまかな進捗確認と相談も行っています).

訳者の間での最終的な会議は2020年の春で,その後は出版社へ原稿を送り,初校,再校と進んでいく格好です.実は当初の予定では2020年秋冬の刊行を目指していましたが,後に述べるような事情もあり,結果としてはやや後へ倒れることになりました.

今にして振り返ってみると,他にたくさんやることがある中で,毎日一定の時間をこの仕事に充てる,調子が良ければ1頁,悪くても1文は見ると決めて,自分の組んだ工程どおりに下訳とその推敲を行っていたのですが,これはとても良かったと思います(週末にまとめてとか,況してや徹夜のような火事場の馬鹿力で進めても,仕上がりにムラが出て後の作業に響くだけなので……).

工具書・参考書について

辞書

普段使いには小学館の独和大辞典(第2版)を最もよく用いました.利用していたのは電子辞書でしたが,電子版が優れるのは何といってもワイルドカードが利用できる点です.周知のとおり,ドイツ語は複合語を多用しますが,それらの語彙が辞書の見出し語とはなっていないケースは珍しくありません.そういう場合は,文脈が要求する意味と相談しながら複合語の分析を行う必要があります(語彙に関して見たとき,ドイツ語を読む上での最も厄介な作業のひとつと言えます).その際,「同じ要素を持つほかの複合語がどのような意味になるのか」は大いに参考になります.たとえばA+Bで成り立つ複合語の場合,A+CやA+D,あるいはE+B, F+Bといった他のケースと比較することで解釈を間違う可能性を下げることができます.そしてこの後者のケース(つまりE+B, F+B etc.)を後方一致検索で手軽に調べることができるという点で,電子辞書は紙の辞書に対して大きな利点を有するわけです.

他にも自宅や図書館にある辞書を都度都度の必要に応じて様々に用いました.独英(Oxford-Duden German Dictionary)の他,独独はDuden, Brockhausを見ていた記憶があります.発音についてはDudenの発音辞典を見ていましたが,人名表記についてはこちらの記事が参考になります(外国史研究者のカタカナ表記の悩み ).また,今回独和を色々引き比べていて,三修社の『現代独和辞典』で会心の訳語を得ることが幾度かあったので,これは以降もしっかりと手元に置いておこうと思いました.

地震学・地質学関係書

担当範囲に地球科学的内容が多分に含まれているため,それらの概念や用語を外さないよう参考書が必要になりました.勉強に用いた主な本は以下のとおりです.

通常の本で専門用語に対応する外国語を調べても多くは英語が主なため,ドイツ語で書かれた本書の記述を理解するにあたっては,外国語を多数収める平凡社の地学事典の索引から多くの援けを得ました(英語や日本語で対応する概念が分かった場合でも,最終的にはドイツ語の文字通りの意味を重視した場合もしばしばありましたが,判断の基準を持つためには必要なプロセスです).

技術的なあれこれ

wikiの設置

複数人で同じものを訳す関係上,各自の進捗が見えて尚且つ疑問点が共有しやすいプラットフォームがあるとよいのではないかと考え,クローズドなwikiを構築することにしました.すでに自鯖でMediaWikiは経験済みだったので,何か他のものを試してみたい気持ちがあり,いくつか候補を考えた末,Crowiを利用することにしました.Markdownが使えてページの管理もしやすく編集履歴も残る利点が魅力的でした.幸いさくらのVPSにスタートアップスクリプトが用意されているので,最安の512MBを借りCrowi本体はスクリプトを走らせてその上に立て,独自ドメインを取得したうえでLet's Encryptでhttps化して利用できるようにしました.結局使っていたのは私だけでしたが,webにつながればどこでも執筆できるので,この翻訳の他当時書いていた別の論文のスケッチをとったりなど色々に活用していました.

Crowiのスクリーンショット1Crowiのスクリーンショット2Crowiのスクリーンショット3Crowiのスクリーンショット4

既訳文献の調査

また邦訳には文献一覧も含まれます.書名や論文名は訳す必要はありませんが,もし挙げられているなかに既訳文献があれば,可能な限り併記するのが望ましいところです.自分の専門分野であれば訳があるか否かはあまり苦労なくわかるものですが,今回は専門分野から離れているうえに,地球科学関係の書籍も多数含まれており,それらについて既訳の有無を手作業で把握するのはなかなかに厄介なものです.しかし,もし翻訳があればそれは大学図書館に所蔵されCiNii Booksでヒットする筈です.しかもありがたいことにCiNii BooksはAPIを用意してくれているので,翻訳であれば原著タイトルもデータとして保持されていることを利用し,書誌データのcsvを基に既訳の有無を確認するスクリプトをPythonで書きました(リンク先のGitHubリポジトリにコードがあります).

その他反省点など

色々やってきましたが,概して言うと,反省すべき点も数多くあります.たとえるなら「怪我にそなえて絆創膏を携行していたら骨折した」ようなもので,想定でき且つ備えはしたが対応が追いつかなかった問題が幾つかありました.

固有名詞の表記法,約物関係の利用の仕方など

これは共訳という性質上まっさきに想定される問題なので早い段階で対処を考えました.具体的には,

といった点の共有を早期にはかりました.もちろん作業の最中に方針を変えなくてはいけない事態もありうるので,その際には分担者全員にそのことが行き渡るようにしたいとも考えていましたが,実際には,原稿が揃った段階でかなり不統一が残り,初校・再校・索引整理段階まで色々な細かい調整が必要になってしまいました.これについてはもう少し技術で解決したかった憾みがあります.

※なお邦訳にあたっての約物類については,西山先生のノート(西山雄二,「翻訳原稿作成に関する覚書」,『人文学報 フランス文学』515(15),285-292, 2019年)が,フランス語作品を念頭に置くものの,基本的な考え方の点で大いに参考になります.訳注やルビを表す括弧は日本語で新たにつけるものなので,欧文では用いない〔〕や【】を使っておくのが安全です.

索引作業

索引については当初ぼんやりとかなり機械的な作業であろうと踏んでいましたが,実際に取り掛かると非常に神経を使う面倒この上ない仕事でした.照合作業に入ると,誤植か思い違いか,原著の索引と本文が食い違っているケースが少なからずあり,正しい参照先がどこなのか突き止めるために大いに頭を使う必要がありました.とりわけ出典索引では,言及されている古典作品の箇所に本当に問題の記述があるのかを浚いなおす作業がありました.というのも,原著には,たとえばアイリアーノスの『動物奇譚集』(De natura animalium)と『ギリシア奇談集』(Varia historia)が混同されているといったレベルで確認を要する箇所があるため,そうした照合が必要になったのです.

また,詳細は省きますが,諸般の事情でスケジュールが非常に押していたため,索引に割ける時間や労力が圧迫されました(印刷用の索引をチェックできたのが本文の念校の直前というありさまでした).それゆえ,振り返ってみて判断と処理に不本意なところが全くないと言えば嘘になります.特に事項索引は,本文中の字句と整合性をとるために索引の見出し語を複数に割るなどの処理を余儀なくされましたが,これは時間が許せば原著通りを保持できたはずであり,これについては申し訳なく思います.とはいえ,出典索引について上に述べたように原著の誤りを除くことができた部分も少なくなく,邦訳書の索引としては十分にその役割を果たすものになっていると考えます.

まとめ

ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミン(Walter Banjamin, 1892-1940)は翻訳について論じたエッセイ『翻訳者の使命』の中で次のように述べています.

文学の本質をなすものは,伝達ではないし,言表内容でもない.それにもかかわらず媒介しようとする翻訳は,まさに伝達を,したがって非本来的なものを媒介しうるだけだろう.実際また,これが悪しき翻訳を識別するための標識なのである.しかし文学作品において伝達の範疇の外にあるもの――悪しき翻訳者ですら,それが本質的なものであることを認めるのだが――,それが一般に,捉えがたいもの,秘密にみちたもの,〈詩的なもの〉と見なされているのではないか.それこそが一般的に,翻訳者がみずからも〔翻訳作業の中で〕詩作することによってのみ再現できる,と見なされているものなのではないか.(内村博信訳,『ベンヤミン・コレクション 2』所収(p. 389))
日常的な感覚にしたがえば,言語は情報の運搬手段です.しかし,よくよく考えると,言葉は情報を持つけれども情報の同義語ではありません.ベンヤミンが上の記述中で念頭に置いているのは文学作品ですが,同様のことは程度の差こそあれ言語表現一般に拡張できるでしょう.

もちろん学術書を訳す場合には,なにより言表内容を正しく伝達することが大事になります.とはいえ,その原作にも伝達のみに尽きない何物かが存在しているには相違ありません.理想的な翻訳者ならば,そこでベンヤミンの言う「原作の谺」(前掲書,p.401)を呼び込むことを目指すでしょう.しかしひとつの作品を複数人で分ける共訳という仕事は,ここに一定の妥協を強い,むしろ伝達という素朴な言語の役割に立ち帰ることを余儀なくする面があります.

そして,この伝達を主目的として見た場合,共訳の作業が円滑なものとなるかは,その諸プロセスをいかに非属人的に組織化できるかという点にかかってきます.それが上に見てきたような,訳語の共有や全体の工程管理といった事柄の重要性へ繋がります.

共訳は,殆どの場合,それに参加するすべての人が何か他の仕事の傍らでやることになります.もちろん一時的にそれがメインタスクとなることはあるでしょうが,多くの場合,他の仕事を掛け持ちしながら余力を以てこの仕事にあたることになるでしょう.実際私もこの翻訳作業が進む数年の間に,単著や別の翻訳,論文執筆など他の仕事を進めていました.このように〈複数人の余力を統合してひとつの仕事へ繋げる〉ことに共訳のメリットがあり,そのために上に見たような問題への対策が重要になります.もしそれを怠るならば,そこから新たに生まれる雑務は大きく且つ際限なく肥大し,単独訳の労働量を容易に凌ぐものとなってしまうわけです.正直なところを言えば「もうしばらくは勘弁してほしい」というのが今の所感ですが,もし〈次〉があれば,こうした点に注意を払って取り組みたいですね……

2021/02/11